14歳のsaudade
- 2013/11/06
- 15:38
家族がブラジルにいっております。
夫の良きアドバイザーとしてポルトガル語について熱く語りました。
でもそれが、オンナ言葉だったことに気付いたのは出発後でした。
「さすが、掛川のひとだね」と言われてしまいましたが、ワタクシにとってブラジルとはビキニだけではなくいつだって気になる国なのであります。
14歳の頃、朝学校にいくと自分の隣に席が増えていました。
数時間後から私の隣にはブラジルから移住してきた美形の男の子が座ることになりました。
3ヶ月くらいは隣に座っていたようなきがするので、いろいろ教えたり教えられたりしたわけですが、
20年くらい経った今でも強烈に覚えているのは「saudade」という言葉です。
何かのときに「それsaudade」と彼が言いました。
彼のせつめいを聞いているとそれは北原白秋の世界のようであり、山田耕作のメロディのようであるのですが、いかんせん、私も14歳なので。
「なつかしい、こどものときのおもいで。でもまだ見たことのないものでもsaudade」なのだそうです。
説明している彼の方は16歳くらいなので、今思うとそこそこ大人だったのでは?
これは日本語の「せつない」が英語に変換できないと言われる事象と同じようなものなのでしょう。
便利になったのでインターネットで検索してみると、、、、、
40歳近くなった私には少ない説明でも十分にわかりました。
14歳ではわからなかっただろうな〜
、と懐かしく思いました。
悲しいかな、私には叶わぬ夢というほどのものもないし、懐かしむほど子供時代が楽しかったわけでもなく、輝いていた頃があったわけでもなく、平坦に中年になっており。。。。
でも、ちょうど今時分、夕方風が冷たい頃、「あー早くあったかいお家にかえろっ!」っていう小学校のころなのかな〜?な、何とも形容しがたいものが胸をすーっと通り抜けます。
そんなことを思い出しました。
先生、あのときどうして私の隣に転校生を座らせたのですか?
それは信頼だったのか、賭けだったのか、
どっちにしても、私の人生”外国に暮らす”っていうものに強い憧れを抱くようになってしまいました。
あの担任の先生も、おそらく今の私と同じくらいの年齢なんだろうな
家族は、イパネマの近くに居る模様。
毎度毎度、言葉はひとつもない、写真だけのおたより、ロマンチです!!
夫の良きアドバイザーとしてポルトガル語について熱く語りました。
でもそれが、オンナ言葉だったことに気付いたのは出発後でした。
「さすが、掛川のひとだね」と言われてしまいましたが、ワタクシにとってブラジルとはビキニだけではなくいつだって気になる国なのであります。
14歳の頃、朝学校にいくと自分の隣に席が増えていました。
数時間後から私の隣にはブラジルから移住してきた美形の男の子が座ることになりました。
3ヶ月くらいは隣に座っていたようなきがするので、いろいろ教えたり教えられたりしたわけですが、
20年くらい経った今でも強烈に覚えているのは「saudade」という言葉です。
何かのときに「それsaudade」と彼が言いました。
彼のせつめいを聞いているとそれは北原白秋の世界のようであり、山田耕作のメロディのようであるのですが、いかんせん、私も14歳なので。
「なつかしい、こどものときのおもいで。でもまだ見たことのないものでもsaudade」なのだそうです。
説明している彼の方は16歳くらいなので、今思うとそこそこ大人だったのでは?
これは日本語の「せつない」が英語に変換できないと言われる事象と同じようなものなのでしょう。
便利になったのでインターネットで検索してみると、、、、、
40歳近くなった私には少ない説明でも十分にわかりました。
14歳ではわからなかっただろうな〜
、と懐かしく思いました。
悲しいかな、私には叶わぬ夢というほどのものもないし、懐かしむほど子供時代が楽しかったわけでもなく、輝いていた頃があったわけでもなく、平坦に中年になっており。。。。
でも、ちょうど今時分、夕方風が冷たい頃、「あー早くあったかいお家にかえろっ!」っていう小学校のころなのかな〜?な、何とも形容しがたいものが胸をすーっと通り抜けます。
そんなことを思い出しました。
先生、あのときどうして私の隣に転校生を座らせたのですか?
それは信頼だったのか、賭けだったのか、
どっちにしても、私の人生”外国に暮らす”っていうものに強い憧れを抱くようになってしまいました。
あの担任の先生も、おそらく今の私と同じくらいの年齢なんだろうな

毎度毎度、言葉はひとつもない、写真だけのおたより、ロマンチです!!
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